小4の3学期から次女が日能研に通い始めて、最初は一番下のクラスからのスタートでした。
通塾を始めた当初は、あわよくば東京女子御三家などの難関中学が目指せられればうれしい、でも本命は都立中、というスタンスでした。
少しずつ成績もクラスも上がっていきましたが、小6になるまでは校舎の中で2番目のクラスで、どのタイミングで都立中だけにしぼろうかと話していました。
たぶん負けず嫌いの次女は、そんな会話に対して自分を奮い立たせていたのだと今となっては思います。
小6になるときか手前かくらいで、一番上のクラスで勉強することになりました。
東京女子御三家という壁
一番最初の壁は、日能研の中の女子御三家クラス?日曜特訓に入るための条件でした。
過去複数(4回くらい?)の模試で偏差値平均が●以上、みたいな条件があり、次女はその条件に足りていませんでした、というか全然足りていませんでした。
次女とも女子御三家の日曜特訓が始まる最後の模試で、
「これで届かんかったら都立中一本にしよな。」
と話していたのですが、その模試で過去一番の結果を残すことができたのです。
次女の都合を知っている日能研の人が、採点を甘くしてギリギリ入れるようにしたんじゃないかと取れるくらいの成績を残して、女子御三家の日曜特訓に滑り込むことができました(あえて採点の詳細は深く確認しませんでした)。
一番下のクラスから這い上がるだけの中がんばってきた次女が、小6の2学期から東京女子御三家の日曜特訓にぎりぎりで滑り込んで、また一番下から勉強することになったのでした。
東京女子御三家の背中
女子御三家の日曜特訓を受講し始めてからも一進一退が続いていました。
次女は一番下からのスタートであることを自覚しているので、復讐復習復習で夜遅くまでよく頑張っていましたが、日能研の上位層の人たちの壁は本当に厚くて全然順位が上がらないのです。
本当に我慢の時期でしたが、勉強というよりも次女には生活面での改善を意識して指摘していました。
「自分はがんばってる、家の手伝いなんて、夜更かししたって、朝は起きれなくたって、」
みたいな態度が散見されて、中学生になって以降の生活に影響を悪影響を与えそうなのと、これらの生活面が改善されれば、次女の成績はもっと上がるはずと思っていました。
きっちり準備して正しい生活をこなすことで、つまらないミスがなくなると考えました。
そんな感じで家族で過ごす中、ようやく今月あたりから女子御三家の背中が見えるくらいまで順位が上がってきたのです。
といってもまだまだ安定した実力ではないし、いろんなことが上手くいって初めて合格できるかどうか、という距離です。
あと1か月の過ごし方が勝負。
がんばれ次女。
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